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ほろ祭りのほろって何?
古尾谷八幡神社では平安時代から続く少年の成長と五穀豊穣を祝う「ほろ祭り」が執り行われます。
「ほろかけ祭り」とも呼ばれます。
以前は9月15日の行事でしたが、現在は敬老の日の前日の日曜日に行われています。
屋台も出ますし、たくさんの人が見物に来る、賑やかなお祭りです。
「ほろ」とは、薄桃色の紙で作る花飾りを付けた36本の竹ひごを、背負いかごに挿し、その竹ひごを反らせて糸で固定したものです。
川越古尾谷八幡神社神幸祭「ほろ祭り」のほろ。
これをショイッコと呼ばれる男の子が担ぎます。 pic.twitter.com/d2m07mxBQt— マツシタ・チクロ (@otahukucyan) 2017年9月17日
「ほろ」は毎年、祭りの前に地元の方が作っています。
「ほろ」の籠の中には、重りの石と鈴が入っていて、装飾もありますので、かなりの重さです。
ほろを背負う子どものことをホロショイッコといいます。
古谷本郷の小学校低学年の男の子の中から上組と下組から2人ずつホロショイッコに選ばれます。
ホロショイッコは腹掛け、手甲、脚絆、黒足袋に陣羽織に着替えて、顔は美しく化粧して頭には鉢巻を巻きます。
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ほろ祭りの歴史や内容を紹介
ほろ祭りは、平安時代から続く、この神社の行事で元服式の印象が深い神事です。
ほろ祭り当日、用意を整えたホロショイッコは近所に挨拶回りに出かけ、家では親戚や日頃お世話になっている人を招いてお祝いが行われます。
父親がホロショイッコに三献渡した後、客に挨拶をします。
六尺棒を持った青年団が迎えに来るとホロショイッコは古尾谷八幡神社に向かいます。
青年団のあとに、女の子の巫女が続き、その後にホロショイッコが続きます。
古尾谷八幡神社に着くと拝殿にて神前にお祓いを受けます。
いよいよほろ祭りのはじまりです。
古尾谷八幡神社では、獅子舞の演舞が始まります。
獅子舞の演舞の後、ホロショイッコを含めた御旅の御一行が神社を出発します。
御旅とは、古尾谷八幡神社のご祭神が御旅所へ向けて巡行することです。
高下駄を履いた天狗さまを先頭に、太鼓、櫃・鉾・錦旗などが後を続き、さらに後ろをホロショイッコ、そしてご祭神を乗せたお神輿が続きます。
御旅所までの道中、ホロショイッコは、独特のステップの六方を踏んだ練り足で進み、1、2、3、よいしょ!の掛け声で1回転します。
【ほろ祭り】
2016年9月18日(日) 14時~16時半
平安時代から続く少年の成長と五穀豊穣を祝う行事。ホロショイコ😸
古尾谷八幡神社(埼玉県川越市)https://t.co/jI4TO3q8aK pic.twitter.com/iiXtIOVeyU— にゃんとこ (@nyantokonyan) 2016年9月16日
「ほろ」は結構な重さがあり、ホロショイッコにとっては大変な動作ですので、周りにいる親族や見物人が「がんばれ」「よいしょ」と掛け声をかけながら進んでいきます。
御旅所に着くと、お神輿を置いいて、その前に仮の祭壇をつくり供物を飾ります。
祭壇前に、ホロショイッコ、巫女、親族の順で並び神官が祝詞をあげ、ほろ祭りの終了です。
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川越の古尾谷八幡神社のほろ祭りは埼玉県 無形民俗文化財です
文化財とは、日本あるいは埼玉の長い歴史の中で生まれ、人とともに育まれ、今日まで守り伝えられてきた人類の財産です。
歴史や文化などの正しい理解のために欠くことのできないものであり、また将来の文化の向上発展の基礎をなすものです。
埼玉県では明治期から、国が定めた国宝保存法や重要美術品等ノ保存二関スル法律、史蹟名勝天然紀念物保存法などに基づいて文化財保護行政に努め、昭和27年からは県でも文化財保護条例を定めて保護の取り組みを続けてきました。
埼玉県内には、717件の県指定等文化財があります。(平成30年3月8日現在)
その中で、重要無形民俗文化財は50件、そのうちの1件がこのほろ祭りです。
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川越の古尾谷八幡神社でご朱印をもらおう
「ご朱印」とは、神社や寺院において、参拝者に向けて押印される印章・印影の事です。
押印の他に、参拝した日付、寺社名・御祭神・御本尊の名前などを墨書きしてもらうのが一般的です。
また、ご朱印をもらうために使用する帳面を、「ご朱印帳」と呼びます。
ご朱印の起源は、寺社へ写経を納めた際の受付印であったとされています。
パワースポットブームとともに、今、若い女性や若者の間で、ご朱印を集めることがブームになっています。
参拝した証として、ご朱印をもらう、というのが現代の形のようです。
肝心の古尾谷八幡神社のご朱印ですが、押印型のものが一応あるので、タイミングが良ければもらえます。
ただ、社務に詳しくない関係者に聞くと、「ありません」と返答されたり、イベントのないときは無人のことも多いです。
古尾谷八幡神社の歴史
古尾谷八幡神社は、貞観年間(859年~877年)に京都の岩清水八幡宮を分祇したと伝えられ、古尾谷圧十三村の総鎮守として崇敬されました。
元暦元年(1184年)源頼朝が新たに社殿を造営しました。
弘安元年(1278年)に藤原時景が復旧後、再び荒廃したため、天正五年(1577年)に当地の領主、中資信が再建しました。
現在の本殿西側に建つ旧本殿は、天正5年2月9日の棟札が残り、このときのものと考えられます。
旧本殿は正面二間、側面一間の二間社流造りになっています。
二間社の見世棚形式としては規模が大きく、全国的にも珍しいものです。
また、組み物、垂木の面取りや反りなど、手間のかかる技術が用いられ、市内でも少ない桃山時代の貴重な建造物となっています。
古尾谷八幡宮は幾度にわたるの戦火で創建当時の建物はありませんが、この旧本殿が埼玉県指定の有形民俗文化財となっています。
大正13年(1924年)に屋根が瓦葺きから銅板葺きに変更され、現在の外観になっています。
現在の社殿は、棟札から吉尾谷庄十三村が施主となり、享保7年(1722年)に完成しました。
本殿と拝殿を幣殿でつないだ権現造りで朱塗りの外観を持ち、本殿と幣殿の周りには透塀が巡らされています。
本殿は、正面三間、側面二間となっています。屋根は入母屋造り銅板葺きで千木と鰹木が載り、蟇股、龍の彫物の脇障子、深い軒を支える組物など堂々としたものです。
本殿内部には入母屋造りで正面に唐破風、千鳥破風が付き、極彩色が施された宮殿があります。
拝殿は正面六間、側面二間屋根は入母屋造りで大正13年に旧本殿同様、瓦葺きを銅板葺きに変更しました。正面には二間の向拝が付き、開口部は蔀戸になっています。この社殿も埼玉県の有形民俗文化財に指定されています。
なお、こちらの本殿に飾られていた算額は、市の文化財に指定され、現在は川越市立博物館に展示されています。
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さいごに
古尾谷八幡神社に行って、いくつも並ぶ赤い鳥居をくぐると、広くてきれいな境内が現れ、鮮やかな赤い社殿に圧倒されます。
境内の周りは綺麗に足元が整備され、散策しやすい神社で、訪れると時間の流れが普段と違うように感じる素敵な神社です。
古尾谷八幡神社のほろ祭りは、歴史ある神社の、歴史あるお祭りです。
子供たちの成長を祝う平安時代から続くこのほろ祭り、未来へも引き継ぎたい素敵なお祭りです。
子供たちの一生懸命に練り歩く姿を見に「ほろ祭り」行ってみてはいかがでしょうか?
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