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ファミリーヒストリー(2月11日)歌舞伎世界と中村屋の歴史とは?


ファミリーヒストリーは、著名人の家族の歴史を本人に代わって取材しに行き、人間の「アイデンティティ」や、その家族の歴史から「家族の絆」を見つめる番組です。
映画館に1人で座り、自分の歴史をみる、というスタイルで、涙あり感動ありの素敵な番組です。

2月11日は、歌舞伎俳優、六代目中村勘九郎の歴史をたどります。
そもそも歌舞伎というのは、どんなものなのか、中村屋の歴史を調べてみましたのでご紹介します。



歌舞伎のはじまり


歌舞伎のはじまりは、驚くことにある女性による踊りが発祥だといわれています。
出雲の巫女と名乗る、国という女性が、かぶき踊りを踊ったというのが、当代記という史料で1603年(慶長8年)に登場します。
この女性は、歌舞伎の歴史を語る上では出雲の阿国(お国)とよばれています。
かぶき踊りとは、当時奇抜な服装をし、世間の秩序に反して行動する人のことを、かぶき者と読んでいたのですが、そのような変わった服装で、かぶき者の男性の姿をまねて踊ったことが、かぶきの誕生といわれています。
この出雲の阿国によるかぶき踊りは、大変な人気を博したため、それをまねた遊女や女性芸人の一座が京だけではなく江戸やその他の地方でも興行されるようになりました。
しかし、この女性による女歌劇は、だんだんと服装の露出が上がり、観客である男性と関係をもってしまうような、あまりよろしくないものに変化してしまったため、風俗を乱すという理由で、女性の役者による歌舞伎が禁止されたといわれています。

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歌舞伎の変遷

女性による女歌舞伎が禁令を出されると、今度は12歳~18歳までの少年が演じる若衆歌舞伎というものが人気となりました。
しかし、若い少年がが美しい女性の格好をして踊ることから、女性の少ない江戸では、役者と観客間で男性同士での関係を持つということが起こってしまい、若衆歌舞伎も結局、江戸幕府から禁止されるようになりました。
こうして野郎歌舞伎と呼ばれる成人男性による歌舞伎が確立していきました。
若衆歌舞伎での女形は、見た目の美しい少年が演じていましたが、野郎歌舞伎では、女性を演じる技術と表現力を持った、専門の役者が女形だけを演じるようになりました。
そして、内容ももともとは歌や踊りによる短い場面で完結していましたが、だんだんと複雑なストーリー性のある演目が演じられるようになり、役柄も女形以外にも男性を演じる立役、敵役、道化役など、それぞれの役柄にあった演技が生み出されるようになりました。
歌舞伎は、それから順調に発展していったわけではなく、幕府の財政なんで圧力をかけられたり、第2次世界大戦の空襲により、東京や大阪の劇場のほとんどは失われてしまったり、戦後の歌舞伎再開後もGHQによって、主要な演目の上演を禁止されたりと、存亡の危機が何度も訪れました。

しかし、歌舞伎は関係者の尽力により大事に大事に引き継がれ、現代でもみることのできる貴重な伝統芸能となっています。

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中村屋の歴史

歌舞伎において屋号は、役者が受け継ぐべき芸風と伝統を表すもので、中村勘三郎の中村屋などがありますが、役者によって屋号は異なるので、中村であっても全員が中村屋であるわけではありません。
初代中村勘三郎は、名古屋で役者として活躍したのち江戸で歌舞伎を上演する劇場である中村座を開きました。
初代の中村勘三郎は「柏屋」という屋号でしたので、中村座の劇場とともに、柏屋という屋号を代々受け継いでいきました。

1950年に十七代目「中村勘三郎」が襲名した際に、柏屋から中村屋という屋号を新たにしました。
現在ではこちらの番組に出演される6代目中村勘九郎さんと兄弟の2代目中村七之助さんが、中村屋の屋号を受け継いでおり、『中村兄弟』の名で知られています。

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さいごに

歌舞伎のはじまりと変遷を通して歴史を紹介しました。そして中村屋の歴史も紹介しました。
ビデオなどない時代から、江戸と同じ演目を大事に関係者によって受け継ぎ、また新しい試みも広がり、歌舞伎は発展を遂げてきたんですね。
日本人として、一度は歌舞伎を見に行きたいものですね。

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