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世界の何だコレ!?ミステリー(4月17日)秀吉の出世守りとは?


世界の何だコレ!?ミステリーは、世界中の不思議な場所に芸能人が直撃取材をして、全力で謎解き調査をするという番組です。
ミステリーの現場を間近でみられるので、視聴者もワクワクドキドキできます。

司会は 雨上がり決死隊さんと きゃりーぱみゅぱみゅさんです。
4月17日は、秀吉が拝み続けたと伝わる三面大黒天について放送するようです。
私も秀吉の運命を変えたといわれるこの仏像について調べてみましたのでご紹介いたします。



豊臣秀吉の少年時代は辛いものだった?


豊臣秀吉は、顔はやせて、目ばかりぎょろぎょろしていて、小さな頃からいくさごっこ好きで、みんなから子ザルと呼ばれていた少年だったそうです。
貧乏な農民の子として生まれたので、山で薪を刈りそれを売って生計を立てる、極貧の時代もあったようです。
父親であった弥右衛門は、秀吉が8歳の頃に仕事の途中で死んでしまい、母のなかは、新しい男性と結婚します。
その新しい父親となった男性と秀吉のそりは合わず、継父から虐待をうけた秀吉は、母の思いもあり寺にあずけられたものの、そこでもうまくいかず、寺から追い出され、また家に戻されます。
結局家に戻ってもまた新しい父親からは辛く当たられ、15歳になった秀吉はわずかなお金を持たされ家を出されてしまいました。
秀吉は、着物を縫う針は必ず売れると考え、お金を針に変え、その木綿針で行商をしながら放浪したと言われています。
その旅先で、今川義元の家臣である松下加兵衛之綱に出会い、仕事を紹介してもらいます。

初めは倉庫の番を任されていましたが、気がきいて一生懸命に取り組み、仕事のできる秀吉はどんどん出世していきました。
しかしここでもうまくはいかず、その出世を妬んだ周りのものから、盗みのぬれ衣をかけられ、松下加兵衛之綱からはぬれ衣だと信じてもらえたものの、結局やめることになってしまい、実家のある中村の地へ戻ることになりました。
秀吉は幼少期はお金にも苦労し、実父が亡くなり新しい父親からは虐待を受け、まだまだ幼い頃に1人で一生懸命に働き、努力したにもかかわらず、そこでも妬みにあい、本当に散々な目にあっているんですね。
その後、織田信長に仕えることになるのですが、ここまででもなんというドラマチックな人生なんでしょうか。幼い秀吉を思うとかわいそうで泣けてきます。

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秀吉の運命を変えたのは三面大黒天?

秀吉は、そんな辛い少年時代をすごしていたわけですが、そんな折、偶然出会ったのが三面大黒天だといわれています。
秀吉はこの三面大黒天を自らの守護神とし、常に身近に三面大黒天の小像を置いていました。
その後、織田信長に仕えることになり、信長に心酔した秀吉は信長のために命をかけて働き、いずれ天下をとることになります。
秀吉が生涯大切にしたとされた三面大黒天は、圓徳院に今も祀られています。

三面大黒天は正面には大黒天、左側には弁財天、右側には毘沙門天の顔がある、福の神が三位一体となった最高の縁起物です。
大黒天はもとは戦闘の神として伝来しましたが、財宝をもたらす力が強いということで、次第に金運の神となりました。
打出の小槌と大きな袋を持っている姿がおなじみです。
毘沙門天は仏教の天部の神で、持国天、増長天、広目天とともに四天王のひとつです。別名「多聞天」ともいいます。
古くは武運の神として、右手に宝塔、左手に宝棒や三叉戟を持ち、甲冑を身に着けた武将風なものが多いですが、この三面大黒天ではお顔だけのお姿になっています。
弁財天はもとは水の神として伝来しましたが、水が流れる音から音楽の神となり、のちに芸術や学問を司る守護神となりました。
こちらも本来は琵琶を奏でる美しい女性のお姿なのですが、この三面大黒天ではお顔だけのお姿になっています。

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さいごに

秀吉の辛く厳しい少年時代と、三面大黒天について調べてみました。
秀吉のとても魅力的な人柄を知り、また貧乏な百姓の子から天下人へと導いた「三面大黒天」にとても興味がわきました。
毎月3日は、圓徳院の三面大黒天御堂にてこの三面大黒天の縁日が開かれています。
夢を叶えてくれるという三面大黒天参り、いつかいってみたいなと思いました。

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