ねぶた祭りといえば、仙台の七夕祭りと、秋田かんとう祭りと並ぶ、東北の三大祭として青森ねぶた祭が有名ですね。
迫力のある巨大な明かりのついたねぶたを、日本人として一度は見てみたい、体験してみたいと思う伝統あるお祭りです。
あの巨大なねぶたは、ねぶた師と呼ばれる方々が毎年毎年、新しいものを手作りで制作されていて、女性のねぶた師も活躍されているんですよね。
ねぶた本体だけではなく、お囃子や運行する引手、そして乱舞する跳人、総合してその年のねぶた大賞が贈られることもあり、ねぶた師の方が腕を競って毎年作品を制作されています。
ねぶたは題材や下絵が決まり次第、そのねぶたを保管するための小屋を作るところから始まるねぶたの制作は、部品となる顔や手、また道具類などの細かい部分から制作をはじめ、大きさは非常に精密に計算したうえで作られていきます。
骨組みを作り、中に電球を仕込み、そして紙を貼って墨で縁取り、そして最後に筆やスプレーで色付けをして完成となるねぶたは、最後に脚付きの台に40人から50人で乗せるんだそうです。
丁寧にねぶた師によって大事に制作され、人形だけで3メートルほど、全体で5メートルにもなるねぶたは、だからこそ迫力があり毎年毎年人々を魅了して感動させてくれます。
さて、そんなねぶた祭りですが、青森県内では青森ねぶただけでなく、各地で大小のねぶた祭が開催されているのですが、群馬でも存在するとのこと。
ねぶた祭りの歴史と、各地の特色を調べてみましたのでご紹介いたします。
ねぶた祭りの歴史
ねぶたの歴史は古く、江戸時代からその記録は見つかっています。
七夕祭の灯篭流しが元である、という説が有力で、無病息災を願って流す灯篭が、大きくなりねぶたとなっていったと考えられています。
とはいえ、今のような巨大な人形のねぶたとなったのは、明治に入ってからのようで、観光化を目指したため戦後にはさらに巨大化がすすみました。
第二次世界大戦の昭和20年にあった青森大空襲で、青森市は市街地のほとんどを焼失したにもかかわらず、
その翌年にはねぶた祭が再開されたという逸話があるくらい、青森市民にとってとても大事な大好きなお祭りです。
ねぶた祭りで欠かせないのは、ラッセラー、ラッセラーとお囃子に合わせて飛び跳ねる跳人ですね。
こちらもかなり昔からあったようで、跳人、という名ではなく踊り子と呼ばれていたものの、
ねぶたに踊り子がついていたことが1770年代の記録で確認できます。
ねぶた祭りは、歴史ある伝統的なお祭りなんですね。
各地ねぶた祭りの特色
各地のねぶたにはどういった違いがあるのでしょうか。
まずはともに青森県内で有名で大きなお祭りである、
青森ねぶたと弘前ねぷたの違いを調べてみました。
青森ねぶたのほうが聞きなじみがあるので、規模の大きなお祭りなのかな?と思ったのですが、ねぶた(弘前ではねぷた)の台数でいうと、弘前ねぷたのほうが80台ほどで、青森の20台ほどに比べて多いことがわかりました。
ただ、弘前ねぷたは子供が引くことが多いようなのですが、青森ねぶたは、ねぶたのいわば演出家ともいえる扇子持ちの合図に合わせて、引手がねぶたを生き物のように操って引くという独自性があります。
さらに、
弘前ねぷたはヤーヤドーという掛け声に合わせて比較的ゆったりと動き、なんというか地域のお祭りのような感じなのですが、
青森ねぶたはラッセラーという掛け声に合わせて、1台のねぶたに約2000人もの跳人が踊りながら参加します。
ダイナミックで参加者みんなが楽しめるねぶた、として青森ねぶたに観光客が多数訪れる訳が分かりますね。
続いて、群馬のねぶたはどういったお祭りなんでしょうか。
群馬で開催されるねぶた祭りは、
太田市で行われる尾島ねぷたまつりというものです。
この太田市と弘前市は、江戸時代から歴史的なつながりがあり、尾島ねぷたまつりは昭和61年から始まり、現在も祭りなどを通して交流を活発に行われているんだそうです。
尾島ねぷたでは、
弘前ねぷたと同じくヤーヤドーという掛け声に合わせて10数台の高さ7mにもおよぶ扇ねぷた、10数台と、ねぷた太鼓が運行されます。
津軽物産市とおおた物産市が行われ、屋台もたくさん出るので、午前中から楽しめるイベントですし、夜はねぷた運行から、ねぷた太鼓とまつり囃子の大合奏まで見逃せません。
地域それぞれの見所があるので、どのお祭りにも行ってみたいですね。
さいごに
ねぶた祭りの歴史と、青森ねぶた、弘前ねぷた、尾島ねぷたの特色をご紹介しました。
ねぶたの元は灯篭流しの灯篭だった、という説が私の中では、かなりびっくりしました。
しんみりと寂しく切ないイメージの灯篭流しが、とても豪華で迫力のあるねぶた祭りにかわっていったのですね…
日本人なら一度は参加したいねぶた祭、家族でいろいろな地域のねぶた祭りに参加してみてはいかがでしょうか?
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